皆さんこんにちは、株式会社森田工務店の森田晃司です。
この日曜日、豊中市が主催する「本町遺跡第45次調査現地説明会」の会場に子供を連れて行ってきました。阪急豊中駅から徒歩5分程度でしょうか、敷地を囲う青いシートには白抜きのアルファベットで有名ハウスメーカーの名前が。調査の後、住宅が建つのでしょう。会場には野次馬も入れて朝からざっと200名の参加者。
すぐ近くには豊中稲荷神社(新免稲荷山古墳)、金寺山廃寺、北には桜井谷窯跡、南には原田神社と桜塚古墳群…、きっと遺跡マニアしか知らないと思いますが。
今回の調査現場からは、古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけての竪穴住居と造り付けのカマドなんかの遺構(昔ここにあったという痕跡)が発見されました。
竪穴住居というのは、学校の授業などで習われたかと思いますが、ちょうどそれらしい写真が手元にありましたので紹介します。これは鳥取県・妻木晩田(むきばんだ)遺跡公園で復元された竪穴住居を撮影したものです。多少の地域差があると思いますが、おおむねこんなイメージでいいと思います。
地面を掘って、柱を立てて、屋根で覆った、シンプルな古代の住居です。内部は土間になっています。低予算、短い工期、土に触れる生活がそこにあります。夏は涼しく、冬はどうだか。新築をお考えの方、いかがですか?また阪急宝塚線・豊中駅徒歩5分、梅田まで15分の好条件であったとしても、千数百年前の当時は阪急電車など影も形もありません。
冗談はおきまして、奈良時代といえば、仏教が伝来し、瓦葺きのきらびやかな建物を想像しがちですが、実際の庶民の生活は、まだまだ縄文時代から続く竪穴式住居スタイルだったようです。
職員さんの説明では、「直近にある金寺山廃寺と、北に位置する桜井谷窯跡群に関係の深い遺構と考えられ、桜井谷で製造された須恵器(すえき=焼き物の器)を検品して選別する集積センターのような場所だったのではないか」「桜塚古墳群の停滞のころに活発になってきたというのも興味深い」とのことです。わかりますか?とにかくそういうことらしいんです。ではまた。