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森田工務店前史~原田神社との関係①

  • 2021年11月15日

皆さんこんにちは。株式会社森田工務店の森田晃司です。

さて森田工務店創業家の先祖・初代森田清治郎の、さらに源流を求めておりまましたところ、森田治右衛門という名が出てきましたので、今回は、治右衛門について紹介したいと思います。

すでに書きましたが、治右衛門家の当主は代々治右衛門の名を継承します。何代目、ということまでははっきりとした資料が残っていないとのことです。

ところで、現在の阪急電車宝塚線の「岡町駅」前にある原田神社は、西暦4~5世紀ごろの創建と伝えられる、非常に古い歴史をもつ神社ですが、この神社は16世紀の安土桃山時代の戦火で焼失し、17世紀半ばまで再建できずにいたようです。

この原田神社が再建されるにあたっての記録と、治右衛門家(森田氏)の伝承を総合しますと、以下のような歴史が見えてきます。

慶安5(1652)年、原田神社を再建するにあたり、これを請け負った大坂の大工棟梁・木下河内守(かわちのかみ)藤原吉次のもとで、「小工(しょうく)」として、河内守を助け、実際の施工者として建築実務を行った大工が2名あります。そのうちの一人、藤原仁右衛門尉(にえもんのじょう)吉久が、森田治右衛門その人であるということです。

森田氏の伝承では、この仁右衛門である何代目かの治右衛門は、原田神社の再建にあたって、特別に一代限りの名乗りを許されたといいます。

徳川時代の寺社建築を差配していたのは、徳川家康から命を受けた中井大和守とその代々の子孫たちで、後に組織化して「中井役所」と呼ばれるようになります。勝部村の大工である森田治右衛門に対して、一代限りの「藤原仁右衛門尉」の名乗りを許したのは、おそらくこの中井役所と考えられます。

治右衛門家の本家筋の末裔で、昔の屋号で「大治」さんと呼んでいますが、大治さんはこの原田神社の再建「慶安5(1652)年」を創業年として、連綿と建築業を続けておられます。したがって途中から分家しました私たち「大清」の末裔である株式会社森田工務店のルーツも、この年までさかのぼることができます。