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勝部遺跡、発見!古代史ロマンの扉は開くか?

  • 2022年4月11日

皆さんこんにちは、株式会社森田工務店の森田晃司です。

私たち森田工務店のあるここ豊中市勝部は、大昔からの集落で、遺跡もあるんだよ、みたいなことを紹介したように記憶しています(詳しくはコチラ)。この遺跡がいったいどこにあったのか、私は詳しく知りませんでしたが、なんとなく気になって、近くを探してみました。

そしてなんと私は今回、ついに、その勝部遺跡を発見したのです!

…といっても、すでに発見された遺跡のあった所在地を見つけたよ、という話であって、世紀の大発見、ということではありません。写真に写っている建物は古代集落の建造物ではなく、遺跡から出土した遺物の収蔵庫だそうです。

豊中市教育委員会によりますと、この収蔵庫には『勝部遺跡の収蔵庫(現大阪国際空港付近)から出土した弥生時代の木棺墓(9基)や土器などを展示』しており、中でも『石鏃(せきぞく・石のやじり)や石槍(せきそう・石のやり)が突き刺さったままの人骨は、当時(弥生時代中ごろ)、この周辺で大きな争乱があったことを想定させ』るものだそうです。

一言でいうと、勝部遺跡は大昔にここ勝部で戦があって、死傷者も出た、という証拠なのです。

当時の勝部の地勢ですが、千里川の下流域で、すぐ近くにはもう海がありました。

鳥越憲三郎先生の発掘調査レポートを最初の何ページかだけ読みますと、勝部の周辺地域には「稲(イナ)」とつく地名が多く、ここ勝部は「イナ勢力圏(仮)」の一地域であったのではないかということです。稲の字のごとく、かつて西摂平野と言われた現在の大阪空港の敷地を含むこの辺りは、水稲耕作の左官な田園地帯であったといいます。

一方でこのあたりは「豊(トヨ)」とつく地名も多いです。豊中だってもともとは「豊嶋郡(てしまのこおり)」の中心部であったとされます。

作家・関裕二氏によれば「トヨ」とは「海」に関連する言葉だそうです。そういえば昔「豊ノ海」という巨漢の力士がいましたが、関係なさそうですね。

関裕二氏は自由な発想を基に、面白おかしく著述されます。私は好きですが、これはあくまで作家さんによる著述作品です。学術論文かなんかと勘違いすると、学者先生からはこっぴどくやられますのでご注意ください。そもそも想像が先行して実証が不足する文書は、史学的にも考古学的にも、まず評価されません。ですので、創作ストーリーと歴史的事実は異なる、という前提で読むと、楽しむことができます。

そういう考え方を基に、陸側の「イナ勢力圏(仮)」と海側の「トヨ勢力圏(仮)」との争いが起こったのか?はたまた全く別の勢力との争いであったのか?などと勝手に空想してみるのも、歴史ロマンの愉しみ方のひとつではないでしょうか。ではまた。