大阪 / 豊中市 / 工務店

営業時間:平日9時〜17時

大清の袢纏(はんてん)

  • 2024年4月30日

皆さんこんにちは、株式会社森田工務店の森田晃司です。

常務の家から、こんなものが出てきましたそうで。


袢纏(はんてん)といって、昔の大工親方が職人の作業服として与えていたもので、職人にとっては作業服兼正装であったといわれます。令和の現在はさすがに袢纏着の職人さんをみることはほぼありませんが、昔の資料などを見る限り、昭和30年代ごろまでは使われていたように思います。法被(はっぴ)と言う人もありますが、私もあまり詳しくないので厳密な区分はわかりません。

表の両襟には【大工】を意匠化したマークと【森田清】の文字、そして背面には【大】へんに【清】…そんな漢字は存在しないのですが、デザイン文字というのですかね。

聞くところによると、今から50年以上昔、【大清】の最後のおかみさんである「おミツ」さんが、その晩年、家に残っていたおそらく大正時代の反物(たんもの=布生地)から縫製してくれたとのことです。明治生まれの女性は縫い物も嗜(たしな)んでいたんですね~。この反物はもともと大清の袢纏のためにロゴを染め抜いてあったものだそうで、おミツさんは何着か縫ってくれたそうですが、残念ながら私の手元にはありません。

おミツさんは、大清の親方「森田清三郎(森田工務店創業者・仙吉の兄)」の妻で、昭和53(1978)年に亡くなっています。夫の清三郎についてはこれまでにも何度か書いていますが、大正9(1920)年に26歳の若さで病死しました。以後、彼女は寡婦(かふ=未亡人)として一人息子の清治(きよはる)を育てますが、清治は太平洋戦争で戦死したため跡継ぎがなく、後年、仙吉の次男・稔弘(2代目社長)を養子に迎えます。2代目社長の長男が現在の常務でありまして「家からこんなものが出てきたで」と、こういう話でございます。

今はもう誰も着る者がいなくなった袢纏ですが、デザインロゴともども、当社にとっては大変貴重な資料です。何かの機会にどこかでこのロゴを再現させたいとも思うのですが、これより先は構想中です。ではまた。