皆さんこんにちは、株式会社森田工務店の森田晃司です。
小学生の息子が言いました。
「パパ、それはアンコンシャス・バイアスやで」
「アンコン?何?」
少し前のことですが、こんなことがありました。
少年野球チームに所属している息子が、練習帰りにユニフォーム姿のまま、あるお店に立ち寄りました。
お店の方は悪気なく「ボク、野球やってるんやね。その体格からすると、ポジションはキャッチャーかな?」
息子は同学年の他の子らに比べて肉付きが非常に良く、早い話が太っています。
太った選手は足が遅い。体格があるので当たり負けしない、よってキャッチャーが向いている、ということでしょうか?
昔の野球漫画に登場するキャッチャーを思い出すと【ドカベン】の山田太郎、【巨人の星】の伴宙太、【タッチ】のコータロー…。時代が偏ってしまい申し訳ないのですが、ご存じの方には説明不要、みんなガッシリドッシリした重厚感あるキャラクターなので、知らず知らずのうちに私たち昭和世代のキャッチャー像として刷り込まれているのかもしれません。令和の野球漫画ではどうなんでしょうね。
当たり負けしないというところは要素のひとつであるかもしれませんが、キャッチャーは他にも瞬発力、判断力、強肩、さらには投手をはじめ、味方選手とのコンタクトが要求される重要なポジションです。太っているかどうか、というのはキャッチャーに要求される資質ではありません。
「太っているからキャッチャー」、これがアンコンシャス・バイアスすなわち無意識の偏見や思い込みから偏ったモノの見方をしてしまうこと、なのです。
私たちの建築の仕事でも、アンコンシャス・バイアスは潜在しています。
たとえば大工ですが、女性には不向きだろう、なぜなら重たい材料を運んだりしなければならないから…と。けれども実際に女性の大工さんは存在します。もちろん現場では重たい材料を運ぶ局面もありますので、力があったほうがいいでしょう。だが、女性の中には男性よりもタフでパワフルな方もいます。女性イコール非力、という偏見はともすればハラスメントにつながります。
「らしさ」というのは昭和時代においては美徳のひとつだったように思います。男は男らしく、女は女らしく、というやつです。ところが令和の今は「多様性の時代」と言われています。無意識の偏見を取り除くことができれば、さらなる可能性がひろがってゆくのでしょうね。
昭和生まれ、平成育ちの私が、令和育ちの今時の子供から教えられることは、たくさんあります。「たかが子供の言うことだから」というのも、これまたアンコンシャス・バイアスなんでしょうね。ではまた。
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