皆さんこんにちは、株式会社森田工務店の森田晃司です。
千里ニュータウンをご存知ですか?今から60年前の昭和37(1962)年9月15日、豊中市と吹田市にまたがって広がる千里丘陵を開発し、新しい町が開かれ、入居が始まりました。
広い道路、宅地造成、歩行者専用道路、近隣センター、と新しい街づくり方式が導入された、日本初の大規模ニュータウンの誕生から60年が経ったのですね。
その後千里ニュータウン方式を参考に、全国で新しい街づくりが広がっていったといいます。
吹田市佐竹台(1962)を皮切りに、高野台・津雲台(1963)、古江台・藤白台(1964)、青山台(1965)、豊中市新千里北町・新千里東町(1966)、吹田市竹見台・桃山台(1967)、豊中市新千里西町・新千里南町(1968)と、順に開発されてゆきます。詳しいですねって?もちろんここは資料の丸写しです、はい。
現在は住宅だらけの千里ニュータウンも、当時は新築がポツポツと建っているだけです。まだ千里中央駅ができる前のことで、路線バスも走っていません。昼間は工事用ダンプトラックが土煙をもうもうと上げて走り、夜は真っ暗闇でシーンと静まり返って、ニュータウンはニュータウンですが、環境が整っておらず、当時の入居者は随分と不便に感じたようです。今では想像もつきませんね。
それから数十年、当時の住人が高齢化し、一時期「千里オールドタウン」などと揶揄(やゆ)されましたが、現在は団地の建て替え→高層マンション化などで、新しく若い世代の入居が増えています。交通の便がよく、穏やかで住みやすい町として、府外の転勤族にも人気のエリアだそうですね、
当社もこの千里地区で、たくさんの仕事を請け負ってきました。写真はその一例です。住人さんの許可を得て掲載させて頂きました。
昭和40年代初頭の当社施工による木造平屋の住宅です。屋根瓦が乗っていますので、棟上げ後の写真です。当時、内外で「腕がいい」と評判だった「ニシオカ大工」の仕事と言われています。50年以上経った今でも、しっかりしています。
この家はその後、2階の増築を経て、今に至ります。写真を見比べてみれば、同じ建物であることがわかりますでしょうか。しっかり建てられた日本家屋は、手入れをキチンとすれば、長く住めるのです。
ともあれ、千里ニュータウン町開き60年、おめでとうございます。千里が、豊中市が、北摂エリアが、もっと栄えますように!ではまた。